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東京地方裁判所 昭和56年(行ウ)30号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

【判旨】

二そこで、原告が法二四条一項に規定する「届出をしないが事実上婚姻関係と同様の事情にある者」に該当するか否かについて検討する。

1 <証拠>によれば、次の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

(一) 原告(昭和一一年五月二六日生)は、青森市内のスナックで働いていた昭和三八年末ころ、客の美喜雄(昭和七年一〇月二三日生)と知り合い、昭和四一年八月、同人が農協に勤務するようになつて間もないころから、当時原告が住んでいた同市古川二丁目一〇番四号若葉荘において同居するようになり、それ以後昭和五三年九月三〇日まで同居して事実上の夫婦としての共同生活を営んでいた。美喜雄は、毎月給料の一部を生活費として原告に手渡し、原告も、競輪場やパチンコ店等でアルバイトをするかたわら、免状を取得した華道の教師をして生計を支えた。原告は、昭和四七年六月に妊娠二か月で不全流産をした(以上のうち、原告が美喜雄と遅くとも昭和四二、三年ころから昭和五三年九月三〇日まで同居していたことは、当事者間に争いがない。)。

(二) 原告は、美喜雄と相談して、昭和五二年六月二四日、株式会社青森銀行から八〇〇万円を自己名義で借入れ、同日、青森市大字浦町字奥野四四六番六七所在、宅地198.64平方メートルを買い受け、自己名義に所有権移転登記をした。原告としては、将来右土地に家屋を建築し、美喜雄と一緒に下宿屋等を始めたいと考えていた。

(三) 美喜雄は、原告と同居するまでは、幼少のころから親代わりに育てられた叔母ヤサとともに青森市大字久栗坂字山辺に住み、当初近くの赤坂精米所で働いていたが、昭和四一年八月一〇日から同市内の農協に勤めるようになつた。美喜雄は、原告と同居していることを、原告の親、兄弟らには隠さなかつたが、ヤサら自分の親族をはじめ、農協の上司及びほとんどの同僚には終始秘匿していたので、美喜雄が原告と同居していることは同僚らのごく親しい二、三名の者しか知らなかつた。また、美喜雄は、河野一武を名乗り、原告も河野八重子と名乗つていた。しかし美喜雄は、農協の仕事の合間にしばしば留守中のヤサの家に立ち寄り、食料品等を置いて行き、また光熱費等の支払いもしていた。

(四) 美喜雄は、同居後も住民票の住所(青森市大字久栗坂字山辺二六番地)を変更しておらず、原告は、同居後も住民票の世帯主(原告)を変更しておらず、同居人の届出もしなかつた。また、美喜雄は、農協に住所を変更する届出をしておらず、しかも、原告を内縁の配偶者とする届出をしなかつたので、扶養控除や家族手当の支給も受けていない。原告は、昭和四四年一二月に加入した国民健康保険の被保険者であつたが、世帯主は原告にした一方、美喜雄も、政府管掌健康保険の被保険者であつたが、原告を被扶養者として届出をしなかつた。更に、美喜雄は、昭和五〇年一二月に加入した養老生命共済の死亡共済金受取人をヤサとし、また、原告は、昭和五二年七月及び昭和五三年一月に加入した平和生命保険株式会社の生命保険の死亡時保険金受取人を原告の弟古川鉄夫としていた(以上のうち、原告らが住民登録や健康保険の加入を別々にし、美喜雄が勤務先に原告を配偶者として届け出ていなかつたことは、当事者間に争いがない。)

(五) ところで、原告は、昭和五三年九月二六日ころ、美喜雄が原告の華道の師匠小山内イエ(以下「小山内」という。)と親しく交際しているとの噂を耳にしたので、美喜雄に事実かどうかを尋ねたところ、同人が小山内と一回肉体関係を持つたことを認めたため、著しく感情を害され、それ以来同人と口を利かなくなつた。このため、美喜雄は、同月二八日ころ、原告との同居生活を解消してヤサの家に戻ることを決意し、同月三〇日、原告の目の前で小山内に電話をかけ、「につちもさつちも行かなくなつた。」と述べて原告と別れることを伝えた。これを聞いていた原告も、これ以上美喜雄と同居する意思を失い、同人に「行くなら行つてもいい。」といい残して外出した。そこで、美喜雄は、原告あてに「鍵とお守りを大事に一生持つていて下さい。」と書き置きをして原告と別れる意思を伝え、背広、着替え類を持つて家を出た。その後帰宅した原告は、美喜雄が予期したとおり家を出たことを知つたものの、同人の行先を捜そうとはしなかつた。美喜雄は、その日のうちにヤサの家に戻り、再び同人と一緒に生活するようになつたが、原告宅にはそれ以後一回も行かず、原告に自分の所在を連絡せず、また、生活費の援助もしなかつた。原告も、美喜雄の居所や生活状況に関心を持たず、自ら連絡を取ろうとはしなかつた。なお、美喜雄は、昭和五三年一一月末ころと同年一二月末ころ二回原告に電話をかけ、また、翌昭和五四年五月には青森駅前で原告と偶然に出合い話をしたが、原告と同居するかどうかについては終始明確な意思表示をせず、特に同年二月以降深刻に悩んでいた眼病について一切話さなかつた(以上のうち、原告と美喜雄の別居の原因が、同人が原告の華道の師匠と親密な関係になつたことにあること、原告が美喜雄と昭和五三年九月三〇日に別居したこと、美喜雄が別居後叔母ヤサの許に戻つたことは、当事者間に争いがない。)。

(六) 美喜雄は、昭和五四年二月ころから視力の低下を自覚し、青森市内の病院を転々とした後、同年六月、同市造道の伊藤眼科クリニックで診察を受けたところ、両慢性緑内障、両ブドウ膜炎と診断されたので、同月一一日から三〇日まで入院した(ヤサが入院時の保証人になつた。)また美喜雄は、同年五月、国立療養所青森病院で、肺結核により一年の入院加療を要すると診断された(以上のうち、美喜雄が眼病で入院したことは、当事者間に争いがない。)。

(七) 美喜雄は、昭和五四年六月三〇日、伊藤眼科クリニックを退院して一たんヤサの家に帰つたが、病気を苦にしている様子であつた。翌七月一日、ヤサが帰宅したところ、美喜雄の姿が見えなかつたので、親族らに連絡する一方、心当りの場所を捜し回つたが、遂に見つからなかつた。そのうちに美喜雄の本の中から、「叔母さんありがとう、体に気をつけて下さい。」との趣旨が書かれた遺書と思われる走り書きが見つかつたため、同月一六日警察署に捜索願を出した。右遺書には、原告のことは書かれていなかつた。

(八) 同月一三日、ヤサは、農協の上司からの連絡で、美喜雄が原告と同居していたことを初めて知り、直ぐ原告宅を訪れた。原告は、当初そんな人は知らない、と答えていたが、やがて「美喜雄は年上の華道の師匠と仲良くなり、後を追つていつた、行先は知らない、怠け者で見込のない男だから今更未練はない。」などと述べた。ヤサは、小山内にも会つたが、美喜雄の所在はわからなかつた。

(九) 同月二四日になつて、美喜雄が青森市大字久栗坂字久栗坂山の林道の車中で自殺しているのが発見された。ヤサは、同月二六日、喪主となつて美喜雄の葬儀を行つた(以上のうち、美喜雄が自殺したことは、当事者間に争いがない。)。

以上の事実が認められ<る>。

2 被告は、原告と美喜雄の同居中の関係をもつて内縁関係ということはできない旨主張する。しかしながら、前記認定事実によれば、原告は、美喜雄と昭和四一年八月の後間もなくのころから昭和五三年九月三〇日までの間、社会通念上事実上の夫婦としての共同生活を営んでいたものと認められるから、内緑関係にあつたということができる。前記において認定した、美喜雄が同居の事実を自分の親族らに秘匿していたこと、原告らが偽名を使い、住民登録等を別々にし、美喜雄が農協に原告を配偶者とする届出をしていなかつたこと等の事情(1(三)(四))は、未だ右認定の妨げになるものではない。よつて、被告の右主張拡理由がない。

3 次に、被告は、原告が昭和五三年九月三〇日、美喜雄と合意により内縁関係を解消して別居し、右状態は同人が死亡するまで継続していたから、同人の死亡当時、内縁関係にはなかつた旨主張する。内縁関係は、社会通念上事実上の夫婦としての共同生活を現実に営んでいるものが、その共同生活を確定的に終了させると同時に解消する者と解すべきである。

これを本件についてみるに、前記認定事実のとおり原告と美喜雄は、昭和五三年九月三〇日、美喜雄の不貞行為が原因となつて別れたこと、美喜雄は、自殺するまでの間、一回も原告宅へ行かず、所在も連絡せず、また、生活費の援助もしなかつたこと、もつとも、美喜雄は、原告に二回電話をかけ、一回は青森市内で出合つたが、原告と同居するかどうかについては明確な意思表示をせず、同年二月以降悩んでいた眼病についても話しをしなかつたこと、原告も、美喜雄の生活に関心を持たなかつたこと、美喜雄の遺書に原告のことが書かれていなかつたこと、美喜雄の失踪後訪ねてきたヤサに対し、原告は、美喜雄とは同居する意思がない趣旨の返事をしたこと等の事実が認められるのであつて、これらの事実によれば、原告と美喜雄は、昭和五三年九月三〇日、事実上の夫婦としての共同生活を確定的に終了させて内縁関係を解消したものというべきであるから、原告は美喜雄の死亡当時、内縁関係にはなかつたものといわざるを得ない。

この点について原告は、美喜雄とは一時別居しただけで、内縁関係を解消する意思はなく、同人もその後原告の許に帰ると述べていた旨主張し、前掲乙第三号証(審査請求書)には、叔母に反対されて一時別居したが、美喜雄は昭和五四年七月から再び同居すると述べていた旨、また、前掲乙第五号証(不服申立書)には、別居したのは美喜雄が華道の師匠との関係を清算するためで、一年の期間を限つていた、美喜雄は昭和五四年七月になれば原告の許に行くと述べていた旨、更に、前掲乙第一八号証(原告作成の回答書)には、美喜雄は昭和五四年七月に帰つてくるといつていた旨の各記載があり、原告本人も、美喜雄が昭和五四年七月には帰るといつていたので、それを信じて待つていた旨供述し、証人佐々木ヤスも右趣旨に沿う供述をしているが、これらの証拠は証人堤ヤサ、同豊川一雄、同肴倉三蔵の各証言及び前記認定事実に照らしてにわかに採用することはできない。よつて、原告の右主張は理由がない。

また、原告は、内縁関係を解消するには正当な理由がなければならない旨主張するが、前叙のとおり内縁関係は共同生活が確定的に終了することによつて解消するのであり、内縁関係の解消に至つた原因がいずれの当事者にあるかを間うものではない。原告が主張する正当理由の有無の問題は、内縁関係の解消によつて発生した損害を解消者に賠償させるか否かについて生ずる問題であり、解消の成否とは関係がない(原告が引用する判決は、本件には適切でない。)。よつて、原告の右主張は理由がない。

三以上の次第で、原告は、法二四条一項に規定する「届出をしないが事実上婚姻関係と同様の事情にある者」には該当しないから、原告の遺族年金支給請求を却下した本件決定は適法である。よつて、原告の本訴請求は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条の規定を適用して、主文のとおり判決する。

(三宅弘人 大藤敏 立石健二)

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